プロフィール

昭和15年1月2日 和歌山県立医科大学附属紀北病院で誕生
   21年4月 奈良県南葛城郡葛村立朝町小学校入学
   27年4月 葛村立葛中学校入学
   30年4月 奈良県立高田高等学校入学
  1年2年は書道部、3年は文芸部
  1年生:校内新聞に小文“信濃路の回想”が掲載される。
  夏休み読書感想文をクラス代表で講堂壇上で弁説。
書題は“レ・ミゼラブル”(全訳) 著者:ビクトル・ユーゴー。
邦題は“ああ無情−”。3位以下であった。
  2年生:年に1度学年末に発行され、全校生徒(1500人)に配られる校内誌“羽ばたき”に“マウスと共に”と題する一文掲載される。
   33年4月 大阪、帝塚山学院女子短期大学家政学部服飾科入学
   36年4月 関西学院大学文学部教育学科編入学
   38年3月          〃           卒業
   38年4月 実社会に於いて臨床心理学実施研究生活をはじめる。
   39年4月 大阪府立精神衛生相談所非常勤務
   39年11月 同相談所勤務の傍ら、大阪大学医学部小児科非常勤務。児童・幼児用諸テスト担当
   40年4月 大阪大学医学部附属病院精神神経科に於いて研究及び非常勤務。臨床心理テスト担当
   40年9月 奈良県立医科大学精神神経科助手奉職
   43年3月 同大学退官
   43年 大和タイムス(現・奈良新聞)紙上で知った天理市在住の作家、ペン会員の上野凌弘氏を訪ね、短編小説“ある法師の死”を預けて帰る。この作品は同氏の激賞を受け同人誌「作文」の同人に推薦され、作品は同誌に掲載される。
  大和タイムス(現・奈良新聞)紙上に“吉野拾遺抄(よしのしゅういしょう)”と題する紀行文を週に一度連載。ほぼ1年間50回完結。
   50年〜平成7年 10年来構想の“誰かしらまし”−長編心理小説−を1月から10月迄の10ヶ月で完結。脱稿。
  日本ペンクラブ入会。推薦者:早乙女貢氏、上野凌弘氏。
文芸誌 女流文学会発刊。創刊号 第二刊で廃刊。
   平成 8年 第一歌集“朱雀”、十数年来の歳月をかけて推敲、編集し出版。100首収録。
   18年〜22年 “朱雀”改訂版 第一刷出版。印刷:奈良新聞印刷株式会社、製本:京都・瀧本製本所。
    第二歌集 青龍(仮題)の出版準備を本格的にはじめる。100首収録予定。